かわいそうな野良猫を見た

  散歩が好きで、このごろはよく近所の川沿いを歩く。据え付けられたベンチに腰掛け、ぼんやりと空を眺めていると、足下から、にゃあ、とかわいらしい声が聞こえた。そちらに視線を落とすと、黒猫がこちらを見上げている。なでようとして近づいてみると、様子がおかしいことに気づいた。目の周りには目やにがこびりついていて、体はやせ細り、毛並みもひどく乱れていた。

 

 あまり人とかかわりあうことが好きでない人間なので、来世は野良猫か植物になりたいと思っていた。誰にも媚びず、好きな時に行きたい場所へと歩いていき、眠くなれば塀の上によじ登って、温かいひだまりのなか昼寝する。あるいは、静かな山の中で、水と日差しだけを燃料に、ただ二酸化炭素を吸って酸素を吐き出すだけの生活を送りたい。そういう風に考えていた。

 

 ゴミを漁ったり、気まぐれでもらえる施しによってなんとか食いつなぎ、他の野良猫との闘争を生き抜き、しかし、飢餓や感染症によって、3年ほどで死んでしまう。植物にしてみたって、森林伐採の被害をこうむる昨今であるし、その辺の道沿いに植えられているものなんかは、登下校中の小学生に葉をむしられたり枝を折って持っていかれたりと、散々な目にあうだろう。

 

 楽な道なんてないんだという至極当たり前な事実を、今更理解した。安全に暮らすためには、集団に属し、その保護を受けなくてはならない。ただそこで生じる人間関係の摩擦は、ぼくの神経をがりがりと削っていく。特に表面的な衝突がなくても、ただ普通に生活をしているだけでも、過敏な神経が、些細なことに反応する。社会の中で、心を殺されずに生きていけるほど強くはないし、かといって一人で生きていけるほどにも、まだ強くない。

 

 そんな感じのことを、猫をなでながら考えた。